メンバー内で一番重要なのはコンポーザー説 ③

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実際にこんな事があった?!今回は体験談から話を追求!

「はじめに」

今回で3作目になります。

①でコンポーザーの日々の戦い、フラストレーション等を綴り、

②でその他メンバーの理解、その上での行動についてお話ししました。

そして今回は、この前作①、②を読んでいただいた上で私の体験談をお話ししたいと思います。

そして、4作目では私が実際聞いたお話しをしていこうと思います。

まだまだこのシリーズは終わりません。

私がやってきたバンド活動の中で、楽しかったり良い思い出の裏側でずっと蓄積されていった事で、今現状何も言わないで新曲作りをし続けている誰かが少しでも報われれば良いなと思っておりますので、是非気になったら前作から読んでみてください。

では、3作目スタートです。

「私は15歳から作曲を始めました」

私はドラマーであり、ギターやベースは専門ではありませんし、ピアノも出来ません。

今ではギターもベースも演奏できますが、楽器を始めた頃は音楽一家で育った訳でも無いですし、家族や親族に楽器をやっている人がいた訳でもありませんでした。

14歳の時、友達に押しつけられるように始めたドラム。

ですが、私は元々「歌を歌いたい」と言う人だったんですね。

ですが、ドラマーになってしまいます。

これに関しては何も後悔して無いですしドラム大好きです。

後に、曲を作りたいと言う気持ちから15歳でベースを買い、16歳でギターを買います。

順番逆。笑

高校生の時、友達付き合いは部活の人のみに留めて、授業中も帰宅後も「楽典(音楽理論)」「相対音感トレーニング」「一度聴いたリズムをすぐに譜面にする練習」とやっておりました。

これは音大に特待生で行くための練習でしたが、この頃の鍛錬が役立つようになり作曲がスムーズに、かつ、沢山書けるようになりました。

当時は「天才か俺」とか思っていましたね。

でも、音大へ行く事が出来ず、浪人して私立大学へいきました。

そこでバンドメンバーと出会うんです。

当時、後にバンドのボーカルになる、ある少年は凄くイキっていましたね~。

今でも思い出します。

お互いに曲作りのプライドが出まくりでバチバチしていたんですよね。

お互いに少し嫌い合っていたし。

「作曲を始めた頃を知らない、経緯を知らない」

楽器を始めた頃から知り合いといったバンドメンバーで構築されている事ってたまにありますが、知らない人もいますよね。

どういう思いで楽器を始めたのか、作詞作曲もそうです。

知らない場合はその人がどれくらいプライドも持って曲を書いているかなんてわからないんです。

しかも、わざわざ「俺はこういう気持ちで曲を書いてます!」なんて言ってくるコンポーザーは居ないと思うんです。あくまでバンド内での話ですが。

だから「あいつ曲作れてすごいなー」とかのレベルに取られがちですよね。

そう言った部分の温度感をメンバー皆が共有出来ると素晴らしいなと思います。

「体験談②」

体験談①は前作で書いたので、体験談軸の今回の記事ですが②になります。

私が一番曲を作っていた時ですが、恐らく19歳~24歳くらいの間でしょうか。

この期間で600曲近い曲を書いております。

この時は、大学をサボって曲を書き、バイトを減らしては曲を書き、寝ずに朝まで曲を作っては学校で寝る、みたいな生活をしておりました。

それのせいで留年してしまうんですけどね。

その頃、大学の軽音サークルにも所属しており、学内でもオリジナル曲でバンドを2つやりながら、外で売れる為にバンドをやり、ドラム需要が凄いサークルでしたのでコピーバンドを5~8個ほどやっておりました。

本当に良くやっていたな・・・と思います。

そんな生活をしている中、あるライブハウスと出会います。

「お前らの曲全部良くない。新曲あるなら全部送ってこい、全部に意見言ってやる」

というライブハウスでした。

私は怒りを押さえ600曲の中から40曲を選び送りました。

10曲ちょっとは意見をくれましたが、どんどん文章が適当になり、最終的に半分くらい意見をくれずシカト状態続き連絡を取らなくなったんです。

「そんなライブハウス二度と出るか!」

と思いましたね。

なんでこんな話をしたかというと、この時のメンバーにガッカリしてしまったからです。

「どんな生活の中で曲を作っているのか」「どんな思いで曲を作っているのか」を理解してくれていると思っていました。

ですが、この事件が起きた時、特に何も言わないメンバーがいました。

もしかしたら「自分のプレイのせいかもしれない」とか思ったかもしれません。

ですが、もっと言うとこの頃は、楽器全てのリフも私が作っていたんですよね。

まあ多少自分なりに変えていたとは思いますが、私はそれを含めてライブハウス側に言われたこの言葉に怒りと悲しみを感じたんです。

今でもはっきり覚えていますね。

「終わりに」

バンドのコンポーザーは、バンドの内側を構築するだけじゃなく、名刺を作っているので責任も感じるものです。

ボーカルが顔であるのは間違い無いですが、曲を作る人の立ち位置には結構繊細でシビアなものを含みます。

勿論頑張っていれば報われる訳ではなく、辛い事は皆あるけど、そんな時にメンバーが寄り添わないで誰が寄り添うんだろうと思っちゃいますね。

実際体験談②のその後ですが、私のバンドメンバー等は先輩から色々言われたり、周りのバンドの姿勢を見てしっかり大人になっていったので最後の方はそんなに不満も無く仲良くやれていたと思います。

では、④へ繋げたいと思います。

今回は体験談でしたが、次は実際聴いた話から話を追求したいと思います。読んでいただきありがとうございました。

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